宝篋印塔(ほうきょういんとう)


宝篋印塔(大念寺)

石造(花崗岩):南北朝時代(14世紀)またはそれ以前の作

 

 宝篋印塔はストゥーパ(仏塔)の一種で元々、宝篋印陀羅尼というお経を収める供養塔です。笠の部分の四隅に馬耳型の突起をもつのが特徴で、塔の中心部には浮き彫りされた仏様と梵字が刻まれています。(下記参照)

 お経を納めた宝篋印塔は仏さまの仏舎利(お骨)そのものとなり、この塔にお香やお花をお供えし、お参りすると八十億劫もの生死を繰り返してきた重い罪が消滅し、この世ではあらゆる災害から免れ、死後は必ず極楽に生まれかわるといった功徳がお経に説かれています。

 大念寺の塔は古式な形状から南北朝時代またはそれ以前の作と考えられ、刻まれた梵字が一般的な宝篋印塔とは異なっている珍しいものでもあります。

茨木 宝篋印塔

現在納めているお経

『阿弥陀経』

『宝篋印陀羅尼』

『阿弥陀如来根本陀羅尼』

『般若心経』

『法然上人一枚起請文』

『善導大師発願文』


宝篋印塔の塔身四面の仏さま

 一般的に多くみられる宝篋印塔の四面の梵字は、「金剛界四仏」や「胎蔵界四仏」や「顕教四仏」などですが、当寺の塔は他に例をみない独特な梵字配置です。(※同じような作例を知っておられる方は、ご一報ください)

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(正面)アシュク如来または薬師如来

すわっている仏さまです

(左面)大日如来

「ア」という梵字です

(右面)釈迦如来

「バク」という梵字です

(後面)阿弥陀如来

「キリーク」という梵字です


(逸話)難を逃れた宝篋印塔

移動工事の様子
移動工事の様子

 この石塔はもとは長らく納骨堂左奥の歴代住職のお墓に並んでおまつりしていました。もっと大昔は、大念寺の旧境内地にあって移転とともに運んできたものと考えられます。

 (平成24年、2012年)のはじめに、住職の発案で「もっと多くの人にこの塔をお参りしてもらいたい」ことから、本堂左前の庭に移動させました。そして、昔から塔の上部分(相輪)が失われていたため古式に倣って修補しました。

移動工事の様子(設置)
移動工事の様子(設置)

 すると、その同年の夏に起こった大阪府北部の集中豪雨によって元々塔のあった場所の裏手斜面が土砂崩れし、辺りの石造物に被害を及ぼしました。

 この宝篋印塔がもし移動していなかったら、おそらく土砂に巻き込まれて倒壊していたでしょう。(現在、この場所はきれいに整備しました)