日 程 毎年春秋の彼岸お中日(春分・秋分の日)
時刻はその都度ご案内いたします。
場 所 当山本堂、お座敷
持 ち 物 お袈裟、お数珠
●お施餓鬼(おせがき)とは
ご先祖をはじめ、ご実家のご先祖さまなど縁あるもののご回向を…。
また供養の届いていない餓えと渇きの世界で苦しまれている縁なきみたまを、檀信徒の皆さまと、ご一緒に供養させていただく法要 です。日常生活で、自分に縁のないものに手を合わせたことはありますか?
僧侶は全ての霊を慰め、皆さまにはお念仏をもって手向けていただき、その大きな功徳を皆でいただくことができます。
●いつおこなわれるのですか?
お施餓鬼は時期を問いませんが、多くの寺院ではお盆(8月)や春秋のお彼岸に行われることが多いです。
当山では例年2回、春秋の両彼岸に行いますので、”彼岸施餓鬼法要”とお呼びしています。
※当山のお施餓鬼は永代祠堂による法式にて執り行います。詳しくは下記をご覧ください。永代祠堂施餓鬼(えいだいしどうせがき)のお申込み、お問い合わせは随時受け付けております。当山までご連絡ください。
当山では現在、春秋の年2回のお彼岸の中日に彼岸会をおこない、あわせて施餓鬼をおこなっています。このふたつの法要の趣旨をみてみましょう。
まずは、お彼岸の語源をたずねてみましょう。実は「彼岸」には対義語があります。それは此岸(しがん)といい、すなわち「此(こ)の岸」という意味です。つまり、彼岸とは「彼(か)の岸」という意味なのです。
日頃、「この世、あの世」という言葉を使いますが、「この世」というのがすなわち私達が生きてる現実世界、「此岸」であるのです。
お釈迦さんは2500年前、実際にインドに生まれて覚りをひらいた人で、現実世界の四苦八苦を否定することなく受け入れ見つめて、煩悩の渦巻く世の中において幸せに生きる方法を仏教として広められました。仏の教えによって限りある苦悩の世界をいとい離れて求められるのが「彼岸」なのです。
浄土宗をはじめとする浄土教の教えでは、現在私たちが目指すべきさとりの世界「彼岸」とは、すなわち阿弥陀さまのいる極楽浄土を指すのです。お釈迦さんは没後の現在の、現世では到底さとりを開けない私達(凡夫)のためにさとりの彼岸へ行くべき場所としてお経に遺しました。極楽浄土は平等に開かれた限りない命と智慧に満ちあふれた世界であり、私たちの願い求めゆくべき彼岸なのです。
では、何故春分と秋分の期間をお彼岸とするのでしょうか?
ちょうど春秋のこの期間は太陽が真東から昇り、真西に沈みます。この西の方角に阿弥陀如来の極楽浄土があるため、その日没のところに想いをこらして、仏さまやご先祖さまがおられる所、そして私たちがいずれ行く所として願い慕(した)わせる心を起こすのに適した期間なのです。
また、昼と夜の時間が等しくなることから、仏教の精神である「中道:ちゅうどう」どちらにも偏らない心を表すとされるほか、西の極楽に対して東には薬師如来がおられる瑠璃光浄土(るりこうじょうど)があることから、このふたりの仏さまを繋ぐ期間であるともいわれています。
7日の典拠は諸説ありますが『阿弥陀経:あみだきょう』には、阿弥陀さんの徳を聞き、極楽に生まれたいと願うならば、名号(南無阿弥陀仏)をしっかり持(たも)つこと、もしは1日、もしは2日、もしは3日…または7日の間、一心不乱にお念仏をとなえれば、心乱れることなく極楽に行くことができると説かれています。しかしながら迷いの多い私たちはなかなか思うようにお念仏に専念することができません。そのため中日の前後7日間の彼岸の期間を特別に設けてちょうど沈む西方に向かって想いをこらしてお念仏をするのであります。たとえ7日達成したからといってやめてしまうことは大きな間違いです。日頃からたとえ少なくてもこつこつと一生をかけて声に出すお念仏を生活の一部にすることが浄土宗の教えです。
次に施餓鬼とは、「施餓鬼会:せがきえ」、「施食会:せじきえ」とも言われる施しの供養を行う法要です。
由来は、お釈迦さんの弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)は自分の死後は餓鬼道(がきどう:常に飢えと渇きに苦しむ世界)に堕ちることを知ったため、お釈迦さんにどうしたらよいか聞きました。
お釈迦さんは、「その苦しみから逃れたければ、三宝(仏・法・僧)と餓鬼道にいる無数の餓鬼たち、そして修行する多くの者たちに飲食物を供養しなさい。その施しの供養をした 功徳(くどく)により、餓鬼も救われ、その功徳によってお前も救われるだろう。」と教えました。
しかし阿難尊者のみの力では大量の飲食物を用意することはなかなかできません。
そこでお釈迦さんは、仏さま達の力によってその用意された飲食物を倍増させ、皆に施すことができる方法を授けました。阿難尊者はそれを実行し、餓鬼道から逃れて寿命を延ばすことのできました。この方法が施餓鬼に行う修法(しゅほう)であります。
盛られた白飯も、そのままでは餓鬼の口まで運ぶことができません。絵図のように祭壇を設け、白飯に目印の幡(はた)を立てて、僧侶(左)のお経(仏さま)の力によって充分に施すことができるのです。
施餓鬼は餓鬼だけでなく、先祖代々や無縁の精霊を供養し、おまいりする皆さんの福徳延寿を願うものです。
当山では、お彼岸という極楽浄土と縁の深い日にみなさんに集まっていただき、施餓鬼を行います。お供えいただくお布施・お米によってお昼にはお弁当を施しとして皆でいただくのです。
とりわけ、お檀家さまからご先祖さま(新亡・遠い先祖など区別無く)諸の精霊の為にお施餓鬼を行うのが当山では「永代祠堂」(えいだいしどう、えいたいしどう)と呼びます。この永代祠堂に新たにお祀りする施主さまは、
をお供えしてもらいます。
施餓鬼の修法による仏さまと先祖さまへの供養の後、用意していた飲食物をお参りいただいたみなさんにお分けします。 この他者への隔てないご供養も大切なことであります。
当山の永代祠堂にまつられたご先祖さまは、霊名帳に記され、以後、毎年の彼岸の度に読み上げられ、施餓鬼を行いご回向されます。永代にわたりご先祖さまを施餓鬼においておまつりする(祠堂:御霊屋みたまやを設ける)ゆえに永代祠堂といいます。
ここで当然のことですが、普段お檀家さんがねんごろにおまつりされているご先祖さまは既にお浄土におられます。施餓鬼でまず施すべきものは自分とは普段無縁の関係の精霊たちです。その者達を救うことにより、有縁の私たちの功徳となってご先祖さまの功徳に繋がる(回向・廻向:えこう。回し向けること)のであります。
この自分と他人、共に助け合い生かされているという身をしっかり受け止め認識し、日頃の自分自身につきまとう貪欲な「餓鬼」の心を反省し、平等に救われる功徳をお互いに積んでいくことが施餓鬼の大切な趣旨であります。
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