当山の縁起『大織冠堂縁起』に詳細が記され、飛鳥時代に慧隠法師と大織冠藤原鎌足公がこの地に仏堂を設けた際、夢中に三面六臂の神が現れ、寺院を建立せよとの神勅を受けたと伝えられ、創建当初からこの寺の地主神、鎮守の神としてお祀りされています。
当山の伝承をまとめた巻物『大織冠堂縁起』には興味深い記述がございます。
【以下引用抜粋】
斉明天皇二丙辰鎌足公 歳四十二 病に寝(臥)せり 是によりて百済の法明尼
維摩経を誦し 隠(※慧隠のこと)また無量寿経を誦して公の病兪ゆ
公病にある 或夜夢見らく 三面六臂の大天枕上に現し示して曰
我是当山地主 住于是地既久矣
我受生於荒立神 欲護三宝未由也
故行災癘耳 汝能為我於此地営伽藍
安仏像沴菑自滅
年豊民安 我鎮加護
又仏法是王法之治具 仏法若衰王法亦衰
我者是大己貴尊也
欲知吾住処有洞窟 従其窟中霊水湧出
傍有霊竹 即吾心神 吾恒住之
語畢て夢覚ぬ 公不思議のあまり隠に語り
伽藍の地をえらまむ事を演たまえり 隠か曰 公の夢また吾先に
見し夢に符合す 若しからは当山に霊水湧出の地あらは
是則伽藍造立の地ならむと 公と倶に山中を尋しかは小窟
あり 果して霊水湧出す 傍に竹あり 夢中の事と宛も
たかふことなし また窟中に光耀あり 是を以神の虚ならさる事
を思ひ一宇を造立して 即安威山善法寺と号せり
【引用以上】
縁起によれば本来の地主神の姿は大己貴尊(おおなむちのみこと)であると自ら述べられており、実は当地に住む荒立ちの神が仏法との結縁を欲して鎌足公の夢中に現れたと言い伝えられています。
つまり、ここでは大己貴尊が寺の守護神として三宝荒神に姿を変えて祀られていると理解されています。
しばしば三宝荒神は仏教由来の「外来の神」だと理解されがちですが、日本古来の土着の「荒神:荒魂の神」が仏教と結びつき、尊格理解をする上で混交していったものと考察することができます。
仏・法・僧の「三宝」を守護する護法善神として仏教信者の守護神、また不浄を嫌うことから民間では台所のかまど神として広く尊崇されています。
かつて、当山に水の湧く洞窟があって、そこに鎮座していたと伝えられ、今も残る黄金竹と井戸がそれにあたります。